空き缶

横浜駅の地下街にある綺麗なオブジェ。クリスタル調のハート型で、笑顔がデザインされてキラキラ輝いています。しょっちゅう通る場所にあるので、見かけるとほんの少し、癒される気もする。そんなオブジェがあります。

昨日の帰り道、その前を通りかかると、そこに空き缶が放置されているのが目に入りました。

“空き缶と一緒のオブジェ”と“空き缶のないオブジェ”。
どちらが気分がよいか、訊くまでもないですよね。

一瞬迷ったけども、自分はその空き缶を手に取り、捨てることにしました。だって、空き缶のない方が気分がいいじゃないですか。

でも最近の日本では、ゴミ箱を見付けるのも一苦労。残念ながら辺りには見あたりません。そしてそこはバス乗り場のすぐ近く。バス停のゴミ箱は数年前に撤去されたままです。

これは家まで持って帰るしかないかな、と諦めかけたのですが、偶然にも空き缶・ペットボトルを集めた袋がバス停の近くにありました。きっとバスの誘導員かだれかが集めたものでしょう。ありがたくそこに捨てさせてもらいました。


もし空き缶を見かけた時、そのまま放置したらどんな気持ちになるでしょうか。きっとすぐ忘れてしまうでしょう。でも“空き缶が無い方がいい”と思いつつ、それをしない矛盾。きっと深層意識ではストレスが溜まってしまうのだと思います。

逆に捨てるのがめんどくさいとか、ゴミ箱がないとか思っても、気にせず実行すれば、今回のような偶然に助けられることの方が、多いんじゃないでしょうか。

自分はそんな素敵な偶然が、この世界には溢れていると信じています。けれどそれは、必然のような気もするのです。それを昔の人は“縁(えん)”と呼んだのだと、思います。