幸せには二種類ある

幸せについて考えたとき、幸せとは二種類あるのかもしれないと思い始めました。

ひとつは「誰かにくらべて幸せ/不幸せ」という種類の幸せ。

同じことがらに遭遇しても、ある人は幸せだと思い、ある人は不幸だと思う。なぜそんな違いが起こるかといえば、比較する対象によって自分の幸福度が変わるからです。仮にお金をたくさん持っていることを幸せとするならば、お金持ちとくらべて自分は不幸ですし、貧乏な人にくらべて幸せなことになります。

不幸な人にくらべて自分は幸せだという考え方だと、常に不幸な人がいなければ自分は幸せになれないことになってしまいます。自分の幸せを求めれば、誰かの不幸を見つけなければならない。いつまでたっても、不幸な人がいなくならない。それでは自分も、いつまでたっても不幸なままです。

そうではない幸せって何でしょう?誰かを不幸にしない幸せって何でしょう?そういう幸せを追い求めることが、自分を幸せに導く近道ではないでしょうか?

それがもうひとつの幸せです。

たとえば、「誰かを幸せにすることによって得られる幸せ」

道を訊かれて教えてあげる。ありがとうと言われて少し嬉しい気分になる。ここに不幸な人はいません。道を訊かれなかった人が不幸なわけではないですよね。
あるいは、恋人を喜ばせたいと思ってすること。自分がしたことによって恋人が喜んでくれれば、ふたりとも幸せです。他人の不幸は関係ありません。
家事に疲れたお母さんの肩を揉んであげる。言われてやるのではなくて、自分からすすんでやる。普段の家事に感謝して、自分からやってあげたいと思ったとき、そこに不幸や不満はありません。感謝の気持ちを表せて幸せ。肩を揉んでもらってお母さんも幸せ。

他人とくらべることのない、自分と相手、お互いの幸せ。そんな幸せを追い求めれば、不幸な人は今よりずっと少なくなるのではないでしょうか。

ただ、これには注意が必要です。自分が相手を幸せにしてあげるという考え方ではだめです。それは相手にとって幸せとは限らないからです。傲慢に押しつけるものではいけません。相手の望むことが出来なくても構わないですが、相手が望まないことをするのでは幸せを生みません。

また、相手の犠牲になってもいけません。犠牲になるのは本人の自由ですが、それによって相手が幸せにならないならば、意味がありません。せっかく自分が犠牲になったのに、相手は幸せじゃない…なんて不幸を生みかねません。相手のために自分が犠牲になることで、自分も幸せを得られる。そんな捉え方が出来るならば、それはもう犠牲とは呼ばないでしょう。

こんなふうに、幸せには二種類あるんじゃないかと思い始めたのです。

他人とくらべる幸せではなく、不幸を生まない幸せ。そこに注意しながら、幸せを生み出せるような生き方をしていきたいと思います。

長い文なのに最後まで呼んでくれてありがとうございました。とっても嬉しいです。この文を最後まで呼んでくれたあなたは、私を幸せにしてくれました。他人を不幸にしない幸せ、そんなに難しい事じゃないと思います。意識しながら、少しずつ増やしていきませんか?