救急車

今朝、祖父が体調不良を訴えたので、総合病院まで送っていった。

祖父も祖母も救急車を呼ぶつもりだったようだが、のんきなことに入院してもいいような準備をしている。祖父はめまいがするらしいが、意識はあるし、靴下も自分で履いている状態。

その時脳裏に浮かんだのは、以前見たニュース。救急車で運ばれるほどの緊急性がない人が救急車を呼ぶせいで、本当に必要な人のところへ救急車が到着する時間が遅れてしまうという。

自分が見る限り、確かに祖父は体調がかなり悪そうだが、救急車を呼ぶほどの緊急性があるかというと、微妙なところ。ただ、体調が悪いのは昨日から訴えていたので、病院への到着が数十分遅れたところで、命に関わるようには思えなかった。そこで自分が病院に連絡し、送っていくことにした。

病院に着くまでは気が気でなかった。自分の判断は正しかったのだろうか?途中で容態が急変したらどうしよう?狭い椅子に座るより、横になれる方が良かっただろうか?道は渋滞していてなかなか進まない。救急車ならもっと早く着くのに!パトカーが通りかかったら呼び止めて先導してもらおうか?本当にやきもきした。
だが、病院についてしばらくして、自分の判断は間違っていなかったなと、安堵することができた。結局祖父の容態が大きく変わることはなく、なんとか病院にたどり着くことが出来たし、病院にいた1時間ほどの間に、救急車が何台も到着しているのを見たからだ。

その時運ばれて来た人たちが、どれほどの緊急性があったかは分からない。だが、自分たちが救急車を使わなかったことで、その中の誰か、あるいは他の病院に搬送された誰かのもとへ、救急車が着くのが早まったのではなかろうかと思えたのだ。

祖父には大変申し訳ないけれども、今回はこれで良かったと思っている。


だがひとつ、些細なことで釈然としないことがあった。病院の駐車場代だ。救急車を利用すれば無料であるところが、自家用車で送った為に、料金を取られてしまったのだ。額にすれば大したことはない。しかしせっかくの善意で救急車を使わなかったのに、お金まで取られるのかと、はじめは思った。

しかしよくよく考えてみると、救急車を無料で利用できることが、むしろ異常に素晴らしいことなんだと気付いた。救急車が無料で利用できるシステムは、善意のもとに成り立っている。利用者のモラルが欠ければ、その先には有料化が待っているだろう。本当に困った時、救急車が無料でなければ、どんなに不便だろうか。そう考えると、駐車場代を払うくらいは大したことではない。


恩恵の裏側は、大きな善意が支えている。それは値段の高い安いとは別次元のもの。それを忘れないように、当たり前だと思わないようにすることが大事。そして出来るだけ、善意で支える側として生きていきたいと思う。それがきっと、充足や幸せにつながるから…。


参考サイト
増える救急車出動/有料化は必要か−四国新聞
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/306/
救急救命士たちの現実 パラメディック119〜すべては救命のために〜
http://www.paramedic119.com/
└救急車不足の話を聞いたことがない人は「当サイトの目的」だけでも是非読んでみて下さい。不用意に救急車を呼ばないことがどんなに大事か分かると思います。